鶴見良行さんについて

プロフィール  略歴  著作(単著のみ)

【鶴見良行さんのプロフィール】


国際文化会館時代

年の暮れに昭和となった1926年4月、外交官・鶴見憲の長男としてロスアンゼルスに生まれる。アメリカ生まれであったことから成人するまで日米の二重国籍をもつ(19歳のときアメリカ国籍を放棄)。1948年、東京大学法学部入学。在学中から、鶴見俊輔、丸山眞男、中村元たちがはじめた『思想の科学』誌の編集を手伝い、評論を書きはじめる。


1955年9月、同年6月に開館(財団法人設立は1952年)したばかりの国際文化会館の企画部員として職に就く。国際文化会館はロックフェラー財団など日米財界の肝いりで開設された民間の知的交流・文化交流の拠点であり、知米知識人の一人として各国の知識人・文化人の招聘、文化交流の企画、実施に高い手腕を発揮することになる。


1966年4月23日 東京・清水谷公園

 ベトナム戦争の激化にともないアメリカが北爆を開始した1965年、鶴見俊輔、高畠通敏、小田実らとベトナム戦争反対を主張する市民運動「ベ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)を立ち上げる。
 ベ平連は、全国47都道府県に広がり、会社員、労働組合、自営業、公務員、主婦、大学生・高校生・中学浪人、外国人などが「ひとり・ひとり」の立場で参加、市民運動の歴史に大きな足跡を残した。1974年1月に解散。
 ベ平連の経験は自身にも重要な変化をもたらすことになる。
 「過去8年にわたって私の生活と思想を支えてきたのは、事実上、この反戦運動であった。ベトナム反戦運動にかかわることで、私は、アメリカ、日本、アジアの相関関係をより深く認識するようになった」。「私の関心」『著作集3 アジアとの出会い』
 アメリカ財界からの資金援助で設立された組織の職員でありながら、アメリカの政策に真っ向から反対する運動に参加するという行動を問題視する声が上がり、1973年、国際文化会館を退職。ただし、理解者であった理事長松本重治の判断で嘱託の立場を86年まで続ける。


ベ平連運動をきっかけとして、1970年ごろから東南アジアの島や村に通うようになり、歩き・調べ・思索する10年を経て、80年以後、暮らしの細部にこだわる手法で新たな東南アジア像を提示する著書を矢継ぎ早に発表する。
 1989年、龍谷大学経済学部教授に就任する。


1986年3月 インドネシア・アル諸島

 フランス文学者であった多田道太郎さんは『鶴見良行著作集全12巻』(みすず書房)の宣伝用パンフレットに『楽しい学者』と題した一文を寄せている。
 「ダマされたと思って鶴見良行の本をのぞいてみたまえ。これまでの大学――はもちろんジャーナリズムでも見かけなかった楽しい学問が見つかるだろう。
 「ヒトはナマコになれるのかもしれない」(『ナマコの眼』)。この一行感動したなあ。鶴見良行以外のどの学者が「ナマコになれるかも」という楽しい期待をもって行動しただろうか。
 日本と欧米との東西交流史ではない。日本と東南アジア、太平洋地域との南北の交流史が、今、書かれつつある。そういう現場感覚。ウォーキング感覚と言ってもいい。東南アジア、太平洋を駆けまわっての路傍、店頭、海辺が彼の「学校」となった」


 4歳年上のいとこで哲学者の鶴見俊輔さんはこう評価している。
 「鶴見良行は、私の父方のいとこである。
 私たちは、おたがいに生きていくなかで、何度も会った。ながい年月のなかで、彼の晩年の十冊の著書を読むうちに、ひとつのことに、私は気がついた。
 彼が五十歳をこえて、新しい学問の道を切りひらいたことだ。
 …
 五十歳をこえて独自の学風を切りひらいた人は、近代日本の百五十年に彼以外ほとんどない(近代以前にはあるが)。」「解説・この道」『鶴見良行著作集第一巻』


1994年2月、7月、10月と三度にわたり、遺作となった『ココス島奇譚』の調査のためインド洋の孤島ココス島を訪問。12月15日、体調不良のため講義を早めに終えて帰宅し、翌16日未明、急性心不全のため急逝、享年68。

【略歴】

1926年4月28日、アメリカ合州国ロスアンゼルス市に生まれる。父・憲(外交官)、母・英。
1948年東京大学法学部法律学科入学。思想の科学研究会に参加、『思想の科学』誌編集に参加。
1952年東京大学法学部卒業。5月、安武千代子と結婚。8月から2年間結核のため熱海で療養生活。
1954年ウィリアム・コーディル(ハーバード大学文化人類学教授)の助手として、約1年間在日米軍基地調査に従事
1955年財団法人国際文化会館に就職。
1964年国際文化会館企画部長に就任。
1965年4月、ベ平連(=「ベトナムに平和を!市民連合」)立ち上げメンバーの一人として参加。7月~9月、ハーバード大学インターナショナル・セミナー受講。西回りで渡米し、台湾、香港、ベトナム、ヨーロッパを訪ねる。旅の途中の6月22日午前5時50分、サイゴン(現在ホーチミン)市内のマーケット広場で行なわれた解放民族戦線兵士公開銃殺を20メートルの距離から目撃、大きな衝撃を受ける。
1971年アジア勉強会設立。
1973年アジア太平洋資料センター(PARC)設立に参加。国際文化会館企画部長を退任、嘱託となる。
1974年東京ベ平連解散。
1979年UNCTAD会議(フィリピン)に出席。
1986年上智大学講師。
1988年仲間15人と貨客船を借り、約40日間のマルク海(東インドネシア)航海を実現。
1989年龍谷大学経済学部教授に就任。ピープルズ・プラン世界先住民会議に参加。
1990年6月『ナマコの眼』で第6回新潮学芸賞受賞。8月食道と胃にガンが見つかり9月手術。
1992年7月大同生命地域研究特別賞受賞。
1994年ココス島を3回訪問。12月16日未明、急性心不全のため永眠。享年68。

【著作】(単著のみ)

  • 『反権力の思想と行動』盛田書店,1970年
  • 『アジア人と日本人』晶文社,1980年
  • 『アジアを知るために』筑摩書房,1981年
  • 『マラッカ物語』時事通信社,1981年
  • 『アジアはなぜ貧しいのか』朝日新聞社,1982年
  • 『バナナと日本人』岩波書店,1982年
  • 『マングローブの沼地で』朝日新聞社,1984年
  • 『大地と海と人間』筑摩書房,1986年
  • 『アジアの歩きかた』筑摩書房,1986年
  • 『海道の社会史』朝日新聞社,1987年
  • 『エビ・ナマコはどこから』新幹社,1988年
  • 『辺境学ノート』めこん,1988年
  • 『ナマコの眼』筑摩書房,1990年(新潮学芸賞受賞)
  • 『アラフラ海航海記』徳間書店,1991年
  • 『東南アジアを知る』岩波書店,1995年
  • 『ココス島奇譚』みすず書房,1995年
  • 『鶴見良行著作集』(全12巻)みすず書房,1998年~2004年
  • 『対話集 歩きながら考える』太田出版,2005年
  • 『エビと魚と人間と 南スラウェシの海辺風景』みずのわ出版、2010年